今回のテーマはアンティーク 『オールドノリタケ』 です

アンティーク

ごきげんよう!!Atelier FlorenceのToshiko(登志子)です。

皆さまいかがお過ごしでしょうか?
 新しい年が始まりましたが、なかなかコロナ終息しませんね。
私は、出来るだけ外出を控えています。

今回のテーマは、アンティークです。
 大好きなオールドノリタケについてお届け致します。

 あまり知られていないことですが、名古屋にあるノリタケが日本貿易のルーツのようです。
ノリタケカンパニーの歴史についてお話します。
6代目の森村市左衛門は、幼名を一太郎といい1839年(天保10年)武具商の
長男として江戸京橋で生まれました。
市左衛門20歳のころ 1859年(安政6年)日本修好通商条約による横浜港開港を機に
“自由競争”の波が押し寄せ、彼は、国内外での金銀対価の違いに起因する膨大な
小判の海外流出を体験しました。
親交のあった福沢諭吉に助言を求め「外国人が持っていく金を取り戻すには、
輸出貿易を行う他に道はない」と教えられたのです。

森村市左衛門をはじめ日本人はアメリカへ向かい、本格的に貿易をスタートさせていきました。
 明治9年(1876年)森村兄弟は、兄の市左衛門37歳、弟の豊22歳の時に、貿易を行いました。
 兄の森村市左衛門は東京の森村組で、弟の豊はニューヨークで日の出商会を
設立し雑貨商を開業しました。取り扱い品は日本的な工芸品と決め、
東京にいる兄の市左衛門に仕入れを依頼していました。

明治15年(1882年)頃になると、陶磁器がアメリカで人気を得るようになりました。
森村兄弟は、陶磁器が今後主力商品となると見極め、販売方法も変化させていき
一地域での小売に過ぎなかったものを、全米を対象とした卸売に方針転換しました。
転換した後も業績は向上し発展していった。
その後、卸売専門となったモリムラブラザーズの新物陶磁器ビジネスも、
インポートオーダー制(注文生産)を導入することで益々拡大していきました。
明治17年(1884年)頃からは、東京・名古屋に専属契約の画付け工場を持つようになり、
自社製品は、純日本風の絵柄をメインにしたものでした。
伊万里・有田・清水・九谷などがそれにあたります。
しかし、今後を見据え増々絵柄の改良が必要だとも感じていました。
そこで、明治26年(1893年)、ノリタケの創業者の一人でもある大倉孫兵衛が
アメリカ大陸発見400年記念世界博覧会へ出席するためシカゴへ渡りました。
大倉孫兵衛は、この視察で特にヨーロッパ製品は、美しく華やかで人の視線を集める物ばかり、
装飾においては、ファンシーウェアーに美しく艶やかなバラ、植物、風景などの絵が
施されていることを知りました。

これからの将来を考えるとデザインを日本風から洋室に変える必要性を感じ、
見本となる製品や絵具、絵筆に至るまで購入し帰国しました。
しかし、職人たちは洋風絵付けの経験がありません。
大倉孫兵衛は、職人たちから強い反発に遭い、大変な苦難を強いられてしまいますが、
諦めず説得を重ね洋風絵付けへと方向転換に成功することが出来たのです。
これがオールドノリタケの洋風絵付けのスタートです。
品格、品質においても上質のものばかりです。
収集家や骨董の専門家たちの間でも、大変評価が高く芸術作品として賞賛されています。

下の写真はお気に入りのオールドノリタケのお皿です♪
次回は、素敵な作品のご紹介を致します。

私のお気に入りのオールドノリタケです
バックスタンプより
1911年~1921年頃の米国輸出向けのものです


最後まで、お読み頂き有難うございました。

返信転送

コメント

タイトルとURLをコピーしました